〈解説〉
藤原宮域で検出された遺構を「古墳時代以前」「飛鳥時代~藤原宮直前期」「藤原宮期」の3期に分けて表示しました。 「古墳時代以前」では、南東から北西へと傾斜する地形に合わせ、南東から北西にのびる溝あるいは流路が見られます。また建物群が見えますが、これも等高線に平行に南西から北東方向に並んでいます。
しかし、次の「飛鳥時代~藤原宮直前期」には、上記のような地形に即した遺構の数は減り、南北・東西方向の道路(宮内先行条坊)・側溝およびこれに平行する塀・柵列に囲まれた区画とその内部の東西・南北方向の建物など、計画的に造営されたことを示唆する遺構群が現れます。
「藤原宮期」には、朝堂や官衙など宮の建物が整備されています。上で見られた道路がなくなりますが、引き続き南北・東西方向の計画性をもって建物等の造営が進められたことがうかがえます。また、調査区との関係もありますが、宮域内で建物が見られない区域がみられたり、建物の規模が大きい区域がみられたり、遺構の規模の差もあることが分かります。宮域の外でも条坊道路等の区画に規制された、計画的に建物等が建設されています。