かつて菅原の地には古墳造りに関わっていた土師氏が住んでいたと考えられています。その歴史を裏付けるように、菅原東遺跡では6基の埴輪窯が見つかっています。また、遺跡の南にある宝来山古墳は、埴輪の起源説話に関わる垂仁天皇の陵墓に比定され、やはり土師氏との関わりが深い土地だったことが推測されます。これら周辺の様子を概観してみます。
菅原東遺跡と宝来山古墳(北より)
*建物のあった位置を分かりやすく表示するために、柱穴(ピット)を地表面から2.5mまで押し上げて表示しています。全ての柱が同時期に存在していたわけではありません。