かつて菅原の地には古墳造りに関わっていた土師氏が住んでいたと考えられています。その歴史を裏付けるように、菅原東遺跡では6基の埴輪窯が見つかっています。また、遺跡の南にある宝来山古墳は、埴輪の起源説話に関わる垂仁天皇の陵墓に比定され、やはり土師氏との関わりが深い土地だったことが推測されます。これら周辺の様子を概観してみます。

1/1000地図
データについて:
遺構データ:奈良市埋蔵文化財センターの協力のもと、遺構平面図より作製。また、奈良市『奈良市埋蔵文化財調査概要報告書 平成元年度』(1990)、『同 平成2年度』(1991)、『同 平成5年度』(1994)を参考にした。
標高データ:奈良文化財研究所作製1/1000地図「菅原」(1962年写真測量、1966年現地調査)より作製。
水域データ:国土地理院『数値地図2500(空間データ基盤)』「奈良県」(2002)。

遺構の凡例は上図と同じ

菅原東遺跡と宝来山古墳(北より)

*建物のあった位置を分かりやすく表示するために、柱穴(ピット)を地表面から2.5mまで押し上げて表示しています。全ての柱が同時期に存在していたわけではありません。